奨学生 5月の月次レポートを掲載しました
2026.06.15
かめのり財団が支援する大学院留学アジア奨学生は、毎月月次レポートを作成し、月ごとの研究の進捗状況や日々の様子を報告しています。HPでは毎月、2名のレポートをご紹介します。
かめのり大学院留学アジア奨学生
月次報告レポート(2026年5月)
早稲田大学社会科学研究科修士2年
宋在洹
1.研究について
今月は無事に研究計画書の作成および提出が終わり、それに基づいて作業を進めた一ヶ月となった。そして、ひとまずは論文の二章分を6月末までに書き終えるという計画であるため、当面はそれが目標となる。論文の内容を簡潔にまとめると、日本の防衛産業を巡る環境が緩和の一途をたどるその構造的要因を検討するものである。特に「防衛産業」は安全保障というナラティブで括られることが多いが、その成長構造を着目する際には他の産業と同じ資本主義のナラティブの中で批判的に検討することが必要であると考える。とりわけ防衛産業については現在大きな変革期にあるように思われるため、意義のある論文を執筆できるように努めたい。ひとまずはしっかりと目標を達成できるように、これからも計画的に論文の執筆を進めていきたい。
また、今月後半は所属する研究所が主催するシンポジウムがあったため、特にその前後と当日はシンポジウムの運営準備に追われていた。ありがたいことに今年も研究所に在籍させていただき、主催のシンポジウムも何度か経験しているため精神的な疲労は少なかったが、それでも一つのイベントを完遂することは骨が折れることである。幸い、シンポジウムは無事に盛況で終えることができたため、ほっとしている。
2.生活について
今月は夏の先取りのような暑い日も増え始めた。特に月の後半に差し掛かると半袖で一日を過ごせる日も増えたため服装選びも難しく、例年通り早くも夏の始まりを感じている。
こうした気温のアップダウンが激しくなり始める時期において、私が個人的に意識しているのは暑さになれること、いわゆる暑熱順化である。もちろん暑さに負けてエアコンに頼ることもあるが、兎にも角にも今のうちに暑さへ体を順応させ、来る酷暑に負けない体を作ろうという作戦である。幸い、去年は特段夏バテや体調を崩すこともなく、無事に生き抜くことができた。しかし、今年は最終年ということもあり、去年よりも机に向かう時間は比較的増えるであろう。そのため、早い内からしっかりと外でも体を動かして、今年の夏も乗り越えていきたい。
最近は特に健康への意識が高まっているように思われる。なぜかと問われると特にきっかけは無いが、なんとなく野菜やビタミンを意識したり、運動不足の解消を意識したりしている。これがいわゆる年を取るということなのだろうか。とはいえ、まだまだ若い上に普段の体調もすこぶる良いので特段気にしすぎてはいない。今度また奨学生のみんなと会うときには、そんな健康の話だったりをしてみようと思い、梅雨の来月も精進していきたい。
かめのり大学院留学アジア奨学生
月次報告レポート(2026年5月)
大阪大学大学院人文学研究科言語文化学専攻
博士後期課程(D3)
NGUYEN THI LINH (グェン ティ リン)
1.研究について
今月は、博士論文研究の一環として、ベトナム人家族の移住という文脈のなかで日本に暮らすベトナム系の子どもの教育経験に関するインタビューデータの分析を継続した。分析の焦点は、教育、就労、そして将来に対する期待が、世代間でどのように形成され、伝達され、変容していくのかを明らかにすることにある。具体的には、父親と子どもへのインタビューデータを中心に分析を行った。分析の結果、父親は人生のなかで複数の異なる期待を経験してきたことが明らかになった。当初、父親は大学教育と社会的ネットワークが安定した職業への道を開くという期待のもとで進学・就職の選択を行っていた。しかし、大学卒業後に就職したものの、その期待は必ずしも十分に実現されず、その経験が日本への移住を決断する一つの契機となっていたことが示された。一方、日本に関しては、留学市場において別の期待が形成され、流通していることが確認された。それは、学びながら働くことによって経済状況を改善し、より良い将来を築くことができるという期待である。しかし、データは、この期待が必ずしも当初想定されていた形で機能するわけではないことを示している。場合によっては、学業の継続そのものが労働に大きく依存しており、その結果として、留学生が現行の法的・制度的枠組みのなかで脆弱な立場に置かれる可能性もみられた。
また、私はこうした期待がどのように子どもの世代へと受け継がれていくのかについても分析を進めた。データからは、父親自身の経験が、将来に対する理想化されたイメージに依拠するのではなく、社会がどのように機能しているのかを理解することを重視する教育方針の形成に影響を与えていることがうかがえた。そのなかで、教育は依然として人生の機会を拡大するための重要な資源として位置づけられていた。しかし、子どもは親の教育的期待を全面的に受け入れているわけではなく、むしろ早い段階で労働に参加し、自らの収入によって生活を築いていくことを将来像として捉える傾向がみられた。
2.生活状況について
今月は、ベトナム人医師が担当する脳科学の実践的応用に関する講座に参加した。そのなかで特に興味を引かれたのは、人間の認識活動は必ずしも脳だけに存在するものではないという、現在も議論の続いている考え方であった。もちろん、脳は生命活動や認識にとって不可欠な中枢的器官である。しかし、このアプローチは、思考が本当に脳だけの専有物なのかという問いを提起している。
この考え方は、東洋思想や古代ギリシャ哲学にみられる「人間は小宇宙である」という発想を連想させた。そこでは、人間の身体は大宇宙を縮小した存在として捉えられている。この視点から見ると、各細胞は単に一つの中枢的な司令塔に従う物質的な構成要素ではなく、それぞれ固有の特性をもつ小さな宇宙として捉えることもできる。
私が興味深いと感じたのは、脳の中枢的役割を否定することではなく、人間を説明する際に脳を絶対的な中心に置く階層的な見方を改めて考え直す可能性が示されている点である。もし思考が単一の中心だけに帰属するものではないとすれば、人間は中心と周縁からなる構造としてではなく、多様な単位が相互に関わりながら生命や認識を共に形成している存在として理解できるかもしれない。この講座は、私に人間観や認識観について新たな視点を与えてくれた。